そして、点字で発行された、歌詞ブックにも、この歌詞が載っていました。 だれかもう一度、この原曲を、リバイバルで歌ってくれないかなと思っています。 今、命終近き病床にあり、繰り返し繰り返し、涙して聴いております。 歌声喫茶で人気だった由。1967年の上京時には、歌声喫茶はもう下火で、歌なんぞ歌っていられるか、という気持ちもあって、誘われるまま二度ばかり行きましたが、歌うことなく、気まずく帰ったと記憶しております。 <補足> ”唇はあせていないのに、涙はあふれて”(主旨)との解釈・表現では、詩情に乏しいように思います。, yasushi様 昭和36年当時、<君>が、恋愛関係では男性から女性への呼称に変化していて、フランク・永井版に元歌の三番があると歌全体のイメージがごちゃごちゃになるので、三番を削除して男心の歌としたのに間違いないでしょう。同じ歌の同じ歌詞が、世に連れ歌に連れてイメージが正反対になるのですね。, 飯田さまのコメント、目からウロコです。「君」といえば女性とばかり思っておりました。  奥ゆかしく 三歩さがってついてきてくれる女性を, 私は 唇が紅いままなのに あの人はどうしたのだ   君がみどりの 黒髪も   さて、河合様からのコメントに関しまして、改めて、私の受け取り方を申し上げたいと思います。 無料で聞かせていただき恐縮しております。   プン プン  という詞を書くでしょうか, これが そのころの女性の心理 (男性の作詞家が書く) と思えてならないのです     これも 自民の 小泉 竹中 の仕業ですが, JA  の 150兆も 同じように ウォール街に 沖縄は「琉球」として、国としても民族としてもしっかりとしたアイデンティティを持っていたにもかかわらず、歴史の波はこの島を呑み込んで、あるときはアメリカの一部に、そしてさらに日本の領土にと、ある意味物のようにやりとりされました。(基地問題などはその続きですね)そんな中にあって、自分たちの変わらない魂を歌ったのが、この『芭蕉布』なのだと気づきました。 が、最近になって、それは削除されていました。 摩文仁の丘や ひめゆりの塔等の戦争遺跡を訪れた時は、なんともやりきれない感情に襲われたことも、今思えば、懐かしい思い出です。, 伊丹空港から、ゴルフバッグを抱えて飛行機に乗り込んでいたとは、さしもの会社の上司様でも気がつかなかったことでしょう?? ところで、君恋しの歌ですが、フランク永井のように思い入れたっぷり、かつリズミカルのと違って、昔のバージョンの方が、テンポだけはとても速かったように記憶しています。よいやみせまれば~、などはツツツーと速いスピードでどんどん進んで行ったように思います。そして、それが却ってせつなさやはかなさを印象強くさせていたような…。  この曲にのって、昭和初期のモボ・モガの時代の、リバイバルで歌われた昭和30年代半ばの…時代背景が、私の中で独自にアレンジされた映像として甦ってまいります。, それに致しましても。『うた物語』に、去年の10月にこの歌をご提供いただいてから、聴くたび思うのですが。 差し出そうとしている?? ご無理なお願いを,さっそっくお聞きとり下さいまして、まことに有難うございました。  昔 「私だけが知っている」 という番組がありましたね  この歌の謂れを始めて知りました。美しい沖縄の歌ですね。    差し出した?? あなたは「あせねど」は「あせてしまったけれども」という意味で音羽時雨先生は書いたとおっしゃりたいのですね。それなら、先生は「あせたれど」と正しい文語で書いたはず。   今日はふたたび 来ぬものを, などなど いろんな近代曲の歌詞にみられます   ですから  否定の ず からの変化だと, 見てください  三節目の   文語の活用型を追うと 否定の ず の已然形 ね 「芭蕉布」は沖縄が日本にあってよかったとしみじみ思う名曲だと存じます。繰り返し聞かせていただいております。   明日の月日は ないものを, いのち短し 恋せよ乙女  男女を問わず年を取ってくると肌の色が悪くなるのと一緒で、唇の色も紅の色が褪せて白っぽくなったり黒ずんできたりします。この歌の女性はまだ若くて唇は紅かと思います。人を恋しても相手に想いが届かず悲しくて切なくて苦しみで胸が一杯になるという歌でしょうね。臙脂の紅帯ですからまだ若い娘さんでしょう。若い娘さんの届かない思い、痩せるほどの思いですから本当に恋、焦がれているのでしょう。純情な娘さんの気持ちわかってあげて下さい。私も若い娘に戻ってこんな恋をしてみたいと思います。この相手の男性はこれほど思われて男冥利に尽きると思います。, ハコベの花様からの、うら若き乙女の思いの届かない恋についての投稿を、深い関心を持って拝読しました。ハコベの花様の思いがよく伝わりました。 違っているでしょうか。, 歌手の名は忘れたが、中学生のころハスキーな唄を聴いて心に沁みるものがあった。   以上、一私見であり、全く主観的な受け取り方です。当然、他の受け取り方もあろうかと思います。それはそれで受け止めたく存じます。 家内もコーラスで歌っています。幾度となく繰り返し聞いています。 二番の「おもいはみだれて」と三番の「ともしびうすれて」は変化があるが、一番の「唇あせねど」が否定だとしたら、変化がない、だから「あせてしまったが」のはずだというご意見もよくわかりません。 このサイトで昭和初期の元歌に三番があると知り、歌ってみました。今の私が歌うと、一番、二番は男性の悶えを彷彿とさせますが、三番は完全に女性の恋の悶えを意味していました。二村定一の歌ですが、女性の心の歌だったのです。 私はこの歌を失恋ではなくて片思いの恋だと解釈しています。恋ほど素敵なものはありません。それがたとえ片思いであってもです。恋に恋しているだけでも幸せですよ。, 昨年夏夫に教えられてから、たびたび訪問している新参者です。   いのち短し 恋せよ乙女 silent sirenの「八月の夜」歌詞ページです。作詞:すぅ,作曲:すぅ。(歌いだし)君の好きなところ変な癖が 歌ネットは無料の歌詞検索サービスです。   我が身を振り返ってみますと、多くの人が若い時に経験するであろう、思いの届かない恋、あるいは、成就しない恋の辛い思いは、いずれ、時が解決してくれるでしょうが、その後の人生における大切な、ひそかな思い出となりましょう。  レコードでは一番を藤山一郎、二番を二葉あき子が歌います。しかし、一番の「あこがれれは悲しい乙女の涙 風よ運べよいとしの君へ」が、離れて来た東京の恋人と銀座の街にあこがれる女性の歌であることに異論はなさそうです。「いとしの君へ」という言い方が、この歌の昭和15年頃なら女性のもの、ということも二木先生のお説にある通りです。 メンバー全員が強い志を持って、多方面で活躍しているEXILE。 そんなEXILEがテーマにしているのは「Love」「Dream」「Happiness」。 どんなときもこの想いを軸に活動しています。 今回はEXILEの心に響く歌詞をこの3つのテーマに分けてご紹介したいと思います! 私自身が経験したことです。, 私の前の投稿('18-1-29)に関連しまして、河合様からからの投稿がありました(1/30)。まずは、拙稿に目を通され、コメントして下さったことに対してお礼申し上げます。 フランクは「乱るる」と唄っていますが、文語調の歌詞であればここは「乱るる」であろうと思われますが。, 高校の頃、寮にいました。この歌を風呂場で歌っていた人がいて誰かが「唇ああせねど」だと言ったので「唇合わせねど」だとひとり合点しました。 ちなみに吉川安一さんはどう歌われていたのでしょうね?二木先生が「シュリティン」とした決め手はなんでしょう?   ”唇あせねど 涙はあふれて”の文脈から、 ”唇あせねど”は、”唇はあせてしまったが”と身の上を謳っていると受け取りたいように思います。文法的には、”唇あせぬれど”とすべきかも知れませんが、歌詞として、しっくりしないため、苦肉の策として、”唇あせねど”としたのではないでしょうか。 「じゃなし」とひらがな表記にすれば、「何々ではない」と誤解されるのも当然だと思います。「今は昔の首里天ではない」となれば、首里天王宮が現在も存在するということになり、現状と矛盾します。 さて  諸説ある~くちびる褪(あ)せねどは, 「ゴンドラの歌」の歌詞に共通すにものと思われます。   私としては、「唇あせねど」の受け取り方の議論は、前回投稿で終了、と考えておりましたが、一言述べさせて頂きました。, 「唇褪せねど」についてそろそろ燃え上がり始めましたので、このあたりでやめましょう。前にもどこかで書いたような気がしますが、詩の受け取り方は、自分がこうだと思う解釈でいいのではないでしょうか。 多分沖縄の言葉(方言?)だと思いますが・・・。, はじめまして。定年後に歌を習い始めここを利用させてもらっております。さて、芭蕉布の歌詞の質問が見られますが、芭蕉布 歌詞をグーグルで検索すると 芭蕉布:たる一の島唄のまじめ研究 があります。ここに詳しく載っています。沖縄県は遠く離れた沖縄と宮古島、石垣島の三島から成っており、作詞者が石垣の竹島出身であることから 上納は沖縄の首里の大様にしたと自分は解釈しています。間違っていたら教えてください。唐ヲゥーは とーうーで 唐(中国)から渡来したうーの意味(うーとは糸芭蕉)だそうです。, 検索されない方のための追記です 故郷の丘に登って青い空と青い海を眺めながらこの曲をハーモニカで吹いてみたいですね。