古代エジプト人は、およそ紀元前650年〜前250年の間、驚異的な数のトキのミイラをトト神に供えた。トト神は魔法と知恵の神で、体は人間、頭は長いくちばしを持つ鳥の姿で描かれる。(参考記事:「動物のミイラの“ヘ~!?”な真実」), 古代エジプトのネクロポリス(ギリシャ語で「死者の町」。大規模な墓地を指す)では、文字通り何百万体ものトキのミイラが見つかっている。それらは、病の治療や長寿、さらには恋の悩みの解決を願ってトト神に捧げられ、埋葬された。(参考記事:「エジプトの猫ミイラ、新X線技術で撮影に成功」), 「私はよく、キリスト教の教会で灯されるろうそくになぞらえます」と英オックスフォード大学の考古学者フランシスコ・ボッシュ=プーチェ氏は話す。同氏は、ドラ・アブ・エル=ナガのネクロポリスから数千体のトキのミイラを発掘してきた研究チームの一員だ。「(トキの)ミイラを捧げると、神は願い事をするあなたの存在に気付くのです」(参考記事:「特集:古代エジプト 王者のペット」), あまりにも数多くのトキのミイラが作られたため、古代エジプト人たちはトキ、具体的にはアフリカクロトキ(T. 古代エジプトに大量の鳥ミイラの謎、異説が浮上 神に捧げられた数百万羽のトキ、いったいどうやって入手したのか? 2019.11.17. | こんにちは。今回は受験生に役立つオリエントの歴史シリーズをはじめます。第2回は古代エジプトを取り上げます。古代エジプトは閉鎖的な地形のため、周辺諸民族が侵入しにくく、長期にわたってエジプト人の政権が持続しました。古代エジプトの王朝は、古王国 後半でミイラの画像も出てきます。苦手な方は途中でお戻りいただけます。 元のファイルを確認していただけるように、wikipedia(public domain)のものは記事の最下部にまとめて、commons やそれ以外のものはそれぞれの画像左下にリンクを張ってあります。 古代エジプトでかつらをかぶる。 ©Copyright2020 古代文明大研究.All Rights Reserved. 2020.07.11 引用元: ブギー ★ 2020/11/04(水) 21:15:20.11 ID: ... 引用元: 荒波φ ★ 2020/10/22(木) 11:44:45.07 ID: ... 引用元: 少考さん ★ 2020/11/14(土) 09:40:17.65 ID ... 引用元: 朝一から閉店までφ ★ 2020/11/03(火) 07:08:26. 後半でミイラの画像も出てきます。苦手な方は途中でお戻りいただけます。 元のファイルを確認していただけるように、wikipedia(public domain)のものは記事の最下部にまとめて、commons やそれ以外のものはそれぞれの画像左下にリンクを張ってあります。 古代エジプトでかつらをかぶる。 !】 インド女子大の学園祭、男が集団で襲撃 暴力やセクハラ繰り返す, 【日韓】日本政府、韓国提案の「文-菅 共同宣言」を拒絶へ ★7 [新種のホケモン★], 【米大統領選】ジョー・バイデン?いえ「梅田穣」。熊本県山都町の町長が話題。ネットでは「うまい」「よっ、大統領」の声 [記憶たどり。★], 【米大統領選】トランプ陣営、法廷闘争あきらめず ペンシルベニア州でバイデン勝利認定の差し止め請求 10日★20 [ばーど★], 引用元:https://rosie.5ch.net/test/read.cgi/editorialplus/1605367808/, https://cdn.mainichi.jp/vol1/2020/11/14/20201114k0000m030356000p/9.jpg エジプト北部サッカラで発見された約2500年前の木棺。色鮮やかな内側のひつぎがミイラを守っている=カイロ近郊サッカラで2020年11月14日午後、真野森作撮影, エジプト観光・考古省は14日、カイロ南郊のサッカラで約2500年前に埋葬された古代エジプトの木棺が100基以上見つかったと発表した。王族ではないが裕福な人々のものとみられ、保存状態も良好。ハリド・アナニ観光・考古相は「今年最大の発見」だとしている。, https://cdn.mainichi.jp/vol1/2020/11/14/20201114k0000m030358000p/9.jpg エジプト北部サッカラで発見された約2500年前の木棺。ふたを開かれた木棺の中には、ミイラを守る色鮮やかな内側のひつぎがあった=カイロ近郊サッカラで2020年11月14日午後、真野森作撮影, 地元エジプトの発掘調査団が深さ約12メートルの縦穴3本を見つけ、中から大量の木棺と神々の木像などを発見した。記者会見場で木棺1基を開き、ミイラを包む色鮮やかな内側のひつぎが披露された。X線を当て、40代の男性と推定されることも示された。, 発掘品はカイロのエジプト考古学博物館や、ギザの3大ピラミッド近くに来年開館する予定の大エジプト博物館に収められるという。サッカラでは10月にも古代の役人のものとみられる木棺59基が見つかったとの発表があった。【サッカラで真野森作】. 元のファイルを確認していただけるように、wikipedia(public domain)のものは記事の最下部にまとめて、commons やそれ以外のものはそれぞれの画像左下にリンクを張ってあります。, 古代エジプトでかつらをかぶる。では、自分の髪を剃ったり短くしてかつらをかぶった話を書きました。hanna-and-art.hatenablog.com, 暑い国で、かつら?と思ってしまいますが、かつらの利用は、砂漠の強い日差しを避けたり剃ることで毛髪にシラミがたかるのを防ぐ目的もありました。, かつらをかぶることは、紀元前2600年頃は王者の特権でしたが、次第にあらゆる階級に受け入れられていきます。様々な豪華な頭飾りが登場し、女性のヘアスタイルは厚みのあるボブから胸の前で垂らすロングへと流行が移り、「おしゃれ」の意味合いが強くなりました。, そこで「髪を剃る」「短くする」と述べましたが、発見されたミイラは「生まれつきの髪をたっぷり生やして」いたりするのです。, (参考:『イシスの娘 古代エジプトの女たち』 ティルディスレイ(著) 細川晶(訳) 新書館), 体毛に関しては、清潔を重視する古代エジプト人はシラミ防止の意味もあって剃っていましたが、荒俣宏氏の『ハゲの文化史』(ポプラ新書 P246)には、「体毛は醜い獣を連想させるとして、男女ともに剃ることが義務付けられていた」とあります。, ちなみに、神に仕える古代エジプトの神官は、職務上の理由から体毛と髪を剃り上げていました。, 「任務につくときには、シラミがいたり、その他同じように不愉快なものがいたりするといけないので、一日おきに身体全体の毛を剃る」ことが求められた。また「昼に二度、毎晩二度冷水浴をし、その他数えきれない儀式を守った」。彼らは頭を剃り、身体に香油を塗り、足と手と爪を清潔に保ち(爪は短く保った)、口をすすぎ、開口部をすべていぶした。, (『清潔の歴史 美・健康・衛生』 ヴァージニア・スミス(著) 鈴木実佳(訳) 東洋書林 P70), 子どもたちの場合、男女ともに「髪の一部を編んで頭の片側にたらした髪型をしており、ときにはそれ以外の髪を剃ったり刈り上げたりすることも」ありました。, (参考:『ナイルに生きる人びと』 片岸直美・村治笙子・畑守泰子(著)  仁田三夫(写真) 山川出版社 P91), 今から3200年前、複数のファラオの墓の建設に携わった人物で、ケンヘルケプシェフという男性がいました。頑張って勉強し書記になった人物で、仕事のストレスを抱えて不眠症になっていたこともわかっています。hanna-and-art.hatenablog.com, 多くの手紙や家計簿などのパピルスを残したケンヘルケプシェフさんでしたが、そのパピルス、後に言うところの文字資料のひとつに、「ラブレター」というものがあり、そのなかに、男性が女性の髪をラピスラズリに例えている言葉が出てきます。, (『NHKスペシャル 知られざる大英博物館 古代エジプト』 NHK出版 P116), 私などはそれは女性自身の髪に思えてしまうのですが、この言葉は彼女のかつらを褒めているものなのでしょうか。, まだ髪が半分しか結いあがっていないのに、私の心は、あなたへの私の愛を思いました。だから私は、早くあなたに会いたくて、身なりもかまわずに走って来たのです。さあ、私が髪を編むあいだ待ってくれますか。じきに私はあなたのものです。, 頭を剃るのが流行ったことは分かっているのに、どの時代のミイラも、生まれつきの髪をたっぷり生やして見つかっている。恋の詩を見ると、清潔で、輝くようなふさふさの髪が讃えられたこともやはりたしかである。, この記述の後、著者は、王妃アフメス・ネフェルタリのミイラが、気を利かせたミイラ職人により、人毛で編んだかつらをかぶっていたことを挙げています。, 彼女はだいぶ年をとってから亡くなった人なので、自然の髪はもうほとんど残っていなかったのだろう。このかつらはミイラ職人が気を利かせたものだが、たぶん彼らは、死後の世界で頭の毛もなしに生まれ変わるようないたわしい思いを、王妃ともあろう方にさせるわけにいかないと考えたのである。, また、 『古代エジプト女王・王妃歴代誌』P218では、長い髪を念入りに頭に巻き付けた『身元不明女性D(「Unknown Woman D」)』(カイロ・エジプト博物館蔵)の写真が挙げられています。, 女性は、アメンヘテプ2世の墓で発見された、壊れた棺の蓋の中で発見されたとありますが、, この蓋にはセトナクト王の銘が刻まれており、1905年に解剖によって性別があきらかになるまでは、セトナクト王のミイラだと信じられていた。, (『古代エジプト女王・王妃歴代誌』(吉村作治(監修) ジョイス・ティルディスレイ(著) 創元社)P218), ひょっとしたらこの女性、在位2年という短命に終わった第19王朝最後のファラオ、タウセレト女王のミイラかも…。, また、医術について書かれたパピルスでは、髪に悩むひと向けにこのような処方もあります。, 医術パピルスは、風采を上げる処方なるものをいろいろ紹介している。望みもしないのに毛が抜けていく頭や、慢性のフケ症といった、世の中によくある悩みの種の治療である。また、あまり美しく見えないねずみ色の髪をごまかすには、黒蛇の脂や黒牛の脂、あるいは雌犬の生殖器を粉末にしたものがよく効く、などと教えている。, 望んでいないのに毛が抜けてしまうのは明らかに自分の頭であり、ごまかす必要のある「ねずみ色の髪」とは、やはり自分の髪ではないかと思います。, 禿げた人の髪の毛を生えさせる処方 ー ライオンの脂、カバの脂、鰐の脂、猫の脂、蛇の脂、アイベックス(*湾曲した大角をもつヤギ)の脂、これらをすべて混ぜ、禿げた人の頭によくすり込む。, ライオン、カバ、ワニ、猫、ヘビ、アイベックス(野生のヤギの一種)の脂肪を混ぜ合わせたものは、犬の足指と共に禿頭の治療に使われていた。, (『最悪の医療の歴史 ネイサン・ベロフスキー(著) 伊藤はるみ(訳) 原書房 P14), 暑さ・シラミ対策や祭儀の為だけでなく、特に女性はおしゃれ目的で、「いろいろな髪形」を楽しんでいたのではないかなと思うのです。, ミイラになる遺体は「清めのテント」で洗われた後、「ウアベト」(清らかな場)と呼ばれる建物に移され、そこで低い作業台に横たえられます。, ウアベトでは遺体の再度の洗浄と頭髪を除く体毛の除去が行われ、次に内臓の摘出へと移っていった。, ということは、やはり遺体には少なからず自分の髪が生えている状態であるということですよね。, 『古代エジプトの埋葬習慣』によると、古王国時代のミイラは生前の姿をありのままに保存するものではなく、彫像のように理想化された故人の姿をミイラの上に表現するものでした。, ミイラの整形は手の込んだものになっていく。まず眉を描く、白髪をヘンナ(植物性の染料)で染める。髪を整え少ない部分には付け毛をするといった、化粧に類することが行われた。(P100), 死者の再生のために遺体の完全性を重要視し、空洞になった眼窩や、生前に事故などで欠損した指などを細工物で補うことが行われました。, 新王国時代に導入されたものがより徹底して行われた。ミイラは顔だけでなく、全身に彩色が施されるようになった。肌の色を再現するために、壁画と同様のルールで男性は赤褐色、女性は黄色に塗られた。この時代には頭髪さえも除去されてしまうことが多く、代わりにカツラが多用された。(P101), 故人を理想化された姿で表現するより、新王国時代と第三中間期におけるミイラの整形は、「生前の姿をできる限り再現する方向性で行われていたといえるだろう」とのことです。, 『古代エジプトの埋葬習慣』の P103 では、テーベ西岸で発見されたネジェメト王妃のミイラ(前から見た図)が掲載されています。, ネジェメト(Nodjmet ネジェムトとも表記)王妃は、新王国時代最後のファラオ・ラムセス(ラメセスとも表記)11世の娘。, 「正式な意味ではエジプトの王妃ではなかった」と、『古代エジプト女王・王妃歴代誌』(P232)とありますが、ネジェメト王妃のミイラに添えられていた「死者の書」では、「王の妻、二国の主人たる王の母、聖なる子コンス神の母、アメンの後宮の長、高貴なる貴婦人の長、二国の貴婦人、ネジェムト」と書かれています。, 第21王朝のその後のミイラと同じように、ネジェムトのミイラは生前と同様の丸みをつけるために手足につめ物がしてある。義眼を嵌め込み、頬にはつめ物をして、人間の毛髪でつくった眉をつけ、薄くなった白髪には編んである茶色の鬘をかぶせてある。その結果、顔にしわが目立つにもかかわらず、ミイラには驚くほど生き生きとした、若々しい表情が与えられている。, 『古代エジプトの埋葬習慣』で正面の画像を見ると、王妃の髪がかつらであることがわかり易いです。, 第21王朝時代の大司祭・パネジェム2世(Pinedjem II  ピネジェム2世とも表記)在職:前990年 - 前969年)の妻のひとり、ネスコンス。, 夫より先に亡くなり、ディール・アル=バハリの背後の断崖に造られた一族の墓に埋葬されました。, ネスコンスのミイラは第21王朝のミイラ職人がいかにすばらしい技術をもっていたかを証明するみごとな例である。ちょうどいい具合につめ物をしているため、まるで生きているかのような外見を保っている。, オシリス神の前に立つネスコンス _ BabelStone _ CC-BY-SA-3.0, 1866年にガストン・マスペロがこのミイラの包帯を解いた。ミイラの保存状態はきわめてよく、王妃の顔の色は全体に明るい黄色で、ところどころに茶色く変色した箇所があった。茶色の髪は短く、ウェーブがかかっている。, ガストン・マスペロ(1846年 - 1916年)はフランスの考古学者。カイロ博物館の第2代館長。, 彼は大司祭ビアンク(ビアンキとも表記)と、上に挙げたネジェメトとの間に生まれました。, ネジェメトはビアンク亡き後、ビアンクの後継者となったヘリホルと結婚し、パネジェム1世は継父ヘリホルの地位を継いでアメン大司祭となったのです。, そのパネジェム1世の妻がヘヌウトタウイ(彼女の父親はラムセス(ラメセス)11世のようです)。, パネジェム1世とヘヌウトタウイの間に生まれた子供のひとりに、メンケペルラーという息子がいました。, 先にパネジェム2世妃ネスコンスをご紹介した際、ネスコンスはパネジェム2世の実の姪だと書きました。, この時代のミイラ職人たちは、技術力に自信を持って作業に励んでいたのかもしれない。しかし自信が過信となった失敗も、しばしば認めることができる。全身の皮膚に数ヶ所切り込みを入れておがくずなどを詰める作業では、熱心さのあまりか詰めこみすぎて明らかに生前より顔が膨れてしまった例や、皮膚が裂けてしまった例も認められるのである。, つめ込みすぎの失敗例として、『古代エジプト女王・王妃歴代誌』では王妃であるヘヌウトタウイが挙げられています。, ミイラ職人がつめ物をしすぎたために、古代に顔の皮膚が裂けて、中のつめ物が見えていた。その損傷は近年になって修復された。, また、名前 Duathathor-Henuttawy の中に、ハトホル(Hathor)と、女神の名が見えましたので、英語版のWikipedia に頼ったところ、"Adorer of Hathor"「ハトホルを崇拝する者」と出て来ました。, 別記事のサトハトホルイウネト(メトロポリタン美術館の表記では、シトハトホルユネト)王女の名前 Sithathoryunet にも「Hathor」があり、彼女の名前の意味は「“daughter of Hathor of Dendera” デンデラのハトホルの娘」でした。, 原典:http://edoc3.bibliothek.uni-halle.de/lepsius/tafelwa3.html, マアトカーラー(マートカラーとも表記)は、パネジェム1世とヘヌウトタウイの娘で、メンケペルラーとはきょうだいです。, 「アメン神の妻」という称号は、わかっているかぎりでは、第18王朝の半ばになくなり、第19王朝になってから復活したものだ。もともと「神の妻」はエジプト王妃の称号だったが、第20王朝のラメセス6世の治世以降は、もっぱら独身の王女に授けられるようになった。, 独身だった彼女の棺は、母ヘヌウトタウイと一緒にディール・アル=バハリのミイラの隠し場所で発見されました。, 彼女が小さなミイラを抱いていることが判った時には「神官である王女に子供が!」と誰もが驚いたことは想像に難くないのですが、 後のX線検査で、それは子供ではなく、マアトカーラーのペットのヒヒがミイラ化したものだと判明。, 『古代エジプト女王・王妃歴代誌』では、大きな胸のふくらみとお腹の皮膚のたるみ具合のせいで、マアトカーラーが出産時に死亡したと誤解された件を、「ミイラ職人がつめ物をしすぎたせいかもしれない」としています。(P234), ティイ(紀元前1398年頃ー紀元前1338年頃)は、新王国時代、第18王朝のファラオ・アメンホテプ3世の正妃であり、ツタンカーメンの祖母にあたります。, 本来なら正妃になれない血統でしたが、ティイはアメンホテプ3世に寵愛され、正妃となりました。, KV55号と呼ばれる墓から出土し、暫定的にハトシェプストだと言われてきた、通称「The Elder Lady 」(年配の女性)。, もしこの女性がティイであるとすれば、ティイは死亡時には55歳にはなっていたと考えられ、このミイラは予想していたよりもいくらか若いということがあり、, 解剖学者のグラフトン・エリオット・スミスは「年配の女性」が驚くほどふさふさした長い髪をしていたと記している。, …〔年配の女性〕は中年の小柄な女性で、ウェーブのかかった豊かな茶色の髪を真ん中で分け、両わきに流しており、その長い髪は肩まで垂れている、毛先はあきらかに天然でちりちりした巻き毛になっている。歯はすり減っていることを除くと、悪いところはない。胸骨が完全に癒合している。白髪はまったくなかった。, このミイラは左腕を胸の上で交差させ、右腕はわきにまっすぐ下ろしている。これは絵画や彫刻に見られる一般的なポーズだが、ミイラにはめったに見られない。, そして2010年2月17日付けのナショナル・ジオグラフィックの記事「ツタンカーメンの謎、DNA調査で解明」で、このミイラは王妃ティイであるという鑑定結果が掲載されました。, また、これまでは「Old Lady(老婦人)」と呼ばれていたミイラはツタンカーメンの祖母にあたるアメンホテップ3世の王妃ティイで、「Younger Lady(若い方の女)」と呼ばれていたミイラがツタンカーメンの母親だと判明した。(一部抜粋), アメンホテプ3世と王妃ティイ _ Ihab mohsen _ CC-BY-SA-4.0, ティイ像 _ Rolf Dietrich Brecher_ CC-BY-SA-2.0, 王妃頭部断片  _ メトロポリタン美術館による解説はこちら(日本語版) _ CC-Zero, 下がった口元から、王妃ティイでは?との噂がある頭部。他にもネフェルティティなど、美女の名が挙がっています。, 故人に対し、少々不謹慎な興味で申し訳ありませんが、少なくともしょっちゅう頭の全剃りをなさっていたわけではなさそうな…。, 本文内の画像はwikipedia(public domain)のものを使用しています。, hanna_and_artさんは、はてなブログを使っています。あなたもはてなブログをはじめてみませんか?, Powered by Hatena Blog